STAP問題関連のブログをみて思った事(一応時事ネタ)

http://blogos.com/article/102142/ (今必要なのは失敗を認める社会)

失敗を認める社会、というブログタイトルを見て、失敗を許さない社会の事例を思い出した。今ではイヌイットの住む場所となっている北極圏のグリーンランドに、中世の数百年間住んで農耕生活をおくっていたノルウェー人の社会である。

グリーンランドは今ではとても農業など考えられない土地であるが、当時はヨーロッパ本土から食料を輸入するのも困難だったので、夏の一時期だけ氷雪に覆われない日当たりのよい土地で農耕牧畜をおこなって何とか暮らしていた。

北欧というとバイキング、冒険者のイメージがあるが、最初の入植から100年もたつと人々は保守化して、イノベーションを拒否してしまった。イノベーションに失敗はつきもの、失敗によるコストが惜しかったのである。結果、彼らがグリーンランドに居住した400年間、イノベーションらしいイノベーションは行われず、年々厳しくなる気候と、無理な農耕で進む環境破壊により暮らしぶりはどんどん悪くなっていった。

余裕がないなら現状維持で仕方がないではないか、という考えもあろうが、当時のグリーンランド人は、キリスト教信仰に多大なコストをかけていた。総人口が4000人位なのに当時のグリーンランドには大聖堂があり、それは「名ばかり」というわけでもなくヨーロッパの中規模都市にあるような巨大なものであった。ヨーロッパとの数少ない交易船の積荷の多くは`、ヨーロッパ発が教会で必要な資材、グリーンランド発は教会への寄付(ホッキョクグマの毛皮等々)が中心で、おかげで生活に必要な鉄製の道具にも事欠く有様であった。最終的に、中世グリーンランド社会は1420~1450年頃に忽然と消滅する・・・。
キリスト教信仰は現代の日本人の宗教とは違い、当時のグリーンランド社会を運営する慣習や諸手続きのようなものだったのではないだろうか。そう考えると、似たような構図が日本にも当てはまるのではないかな、と思えてくる。だんだん社会に余裕がなくなってくる中、これまで維持してきた慣習や手続き的の維持に積極的になる一方、失敗の可能性の高い物事には徐々に挑戦しなくなっている傾向があるように感じる。勿論、現代日本では「イノベーション」は盛んに行われているが、それは、大体結果の予想できる研究開発という名の作業である(作業の能力もあまり高くない私が言うのも難ではあるが)。そして、失敗の発生というものがシステムの中に組み込まれていないから、失敗を成功と言いくるめるとか、隠ぺいするとかねつ造する、という問題が出てくる、失敗の経験があとに生きない・・・
中世グリーンランド社会消滅寸前の1410年頃の記録には、魔術を行った咎で処刑された人の話が出てくる。魔術とされるものの多くは閉塞的な社会で心に病を負った人の行動なのだろうが、もしかしたら何か変革を行おうとして、それが社会の人々の反感を買い、魔術扱いされた、というような事例もあったのかもなどとふと考える・・・

 

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